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指導要領

報道特捜プロジェクト」を見ました。やはり最近の基礎学力低下が問題となっていました。街の方々が私よりも方向音痴だったり、今の小学校に日本地図が掛かっていないのは驚くべきことです。
文部科学省も「ゆとり教育」という制度が失敗だったということをやっとお認めになっていました。


というより、どう考えても今の文部科学省じゃ「改善される」などということはありえないと思います。なぜなら当の文部省が勉強嫌いだからです。それを証拠に、文系出身が多い官僚の方が競って削ろうとしているのが目立って理系分野。さらに、暗記科目と嫌われつつある「ことば」分野(とりわけ「漢字」)。「桁の多い少数演算はやめよう」とか「円周率は3」とか明らかに勉強嫌いがやりたくない項目ではないですか。
おそらく今の官僚の方々は「受験戦争」とか「詰め込み教育」に多大なる被害者意識をお持ちなのでしょうね。勉強の「手間」が「勉強嫌い」に繋がるというのはいかにもという感じです。勉強に対する閾を低くして自分の子孫が官僚になりやすくなるようにしたいという魂胆が見え見えです。
「ことば」を覚えるためにはどうしても生きた言葉を「何度も」読み書きをして覚えていくものですし、計算などというのも「たくさん」経験して感覚をつかむものです。「受験戦争」というものはたしかに子供の自由を阻害するという意味で弊害かもしれませんが、競争をすることによってこれらのことをたくさん「経験」して学ぶといういい面もあります。その悪い面が強調されてしまったのは「受験戦争」が悪いのではなく、はたまた教える内容が悪いのではなく、単に教師が生徒の興味をそそる教え方をしていないだけです。「経験させる」という単純作業を「面白さに変える」ことで熱心に勉強するようになるのです。その意味で私の時代はまだそれに恵まれていたのかもしれません。
今、この能力をお持ちになっている教師の方々はどのくらいいらっしゃるのでしょうか?これは、教師になるための閾のほうが低くなっているだけなのではないですか?文部科学省は「教育内容を削る」ということができるのであれば、「教師になるための閾を上げる」ということは簡単にできるはずです。それとも、そうまでして天下り先がほしいのですか?

追記関連記事:
http://d.hatena.ne.jp/inkm/20050421
http://d.hatena.ne.jp/yosuke0araki/20050423