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「ら」抜き言葉

Wallersteinさんのブログでも触れられておりますが、最近「ら」抜き言葉というものが出回っております。
これは、受身の助動詞「らる」「られる」の可能用法に見られ、これの「ら」が抜かれてしまったものです。「着れる」「見れる」がその一例です。
本来、この「ら(れ)る」は動詞の未然形がア段音にならないものがその不自然さを防ぐために使われたものです。


では、なぜ「ら」抜き言葉というのが出回ったのでしょうか?「そのほうが言うのに楽だから」とおっしゃるかもしれませんが、「言うのに楽」というのはどこから来たのでしょうか?たとえ略して言うにしても一度聞いたことがなければ、また喋ったことがなければ不自然に感じるはずです。さらに、なぜよりにもよって可能用法だけなのでしょうか。もし本当に「楽」であるなら、別の用法でも「ら」抜きが起こるはずです。
ここからは私の想像なのですが、実は一部の言葉ではこの「ら」抜き言葉が正しいのではないかと思うのです。
それはどういう言葉かというと、「動詞の連用形にア行五段活用の動詞『得る[える]』をつけて音便変化」したものだけです。
たとえば、ラ行五段活用の動詞「蹴る」の場合は、それに「得る」をつけると「蹴り得る」になります。それが、
蹴り得る→ker+ie+ru→kereru→蹴れる
と変化したのだと思います。このような言葉が発生し、それを何度も聞くようになったから「ら」抜き言葉が生まれたのだと思われます。「行ける」という言葉も「ら」抜き言葉ではありませんが、このような組成で発生したと思われます。
しかし、この方法が通用する一部の動詞のみです。いくらこのような言葉が存在するとはいえ、たとえばカ行上一段活用の動詞「着る」の場合は「得る」をつけても「着得る」となってしまい、どうがんばっても「ら」抜き言葉「着れる」になることはありません。恐らく、通用した方式を「(れ)る」「ら(れ)る」に適用しようとしたのでしょう。
現に、「私は和服を着られます」と言うとごく自然に聞こえますが、「私はボールを蹴られます」と言う言葉は不自然に聞こえます。逆に、このような言い換えが不自然に聞こえれば上記「存在する「ら」抜き」にもなります。
ただし、もう一度言いますが、これは私の想像であり、正式な学説ではないですので、あしからず。